2014年3月18日火曜日

サムスンの世界戦略支える5000人の「地域専門家」たち:囲い込みに走るバングラデシュのエリートIT技術者

_

●3日、中国の大手ポータルサイト・網易によると、インドの最高裁判所は2日、韓国サムスングループのイ・ゴンヒ会長に対し、6週間以内にインドの裁判所に出廷しなければ、インド警察が逮捕の権限を有するとの裁定を下した。写真はサムスンのビル。


朝鮮日報 記事入力 : 2014/03/21 12:11
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/03/21/2014032101717.html

サムスンの世界戦略支える5000人の「地域専門家」たち

 米ハーバード大経営大学院が発行する世界最高水準の経営学術誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』は2011年、サムスンが世界的企業へと飛躍する上で、地域専門家制度が大きな成功要因になったと評した。

 同誌は
 「サムスンは地域専門家制度を通じ、将来進出する市場に対する情報収集を行い、人脈を長期的な観点で築いた。
 これは短期的成果を重視する西欧企業に対し、示唆するところが大きい」
と指摘した。

 サムスンの地域専門家制度による派遣人数は今年で累計5000人を突破した。
 サムスングループ関係者は「昨年までに世界80カ国の約170都市に4700人余りの地域専門家を派遣したのに続き、今年も300人余りを海外に派遣した」と説明した。

 サムスンは過去24年間で社員の滞在費用やその他経費を含め、1兆ウォン(約950億円)を超える資金を地域専門家プログラムに投じたという。

■李健熙会長の指示で開始

 地域専門家制度は、李健熙(イ・ゴンヒ)会長の指示により、1990年に始まった。
 世界的な企業になるためには、社員もグローバルマインドを持つ必要があるというのが李会長の信念だった。
 同制度は97年の通貨危機、2008年の世界的な金融危機でも中断されず、李会長のこだわりが感じられる。

 サムスンは今年、国内外の困難な経営環境の中で、非常経営体制に入ったが、地域専門家の規模だけは削減しなかった。

 系列広告代理店「第一企画」はむしろ、地域専門家の選抜枠を昨年の3倍以上に増やした。同社関係者は
 「海外での売上比率が74%に達しており、世界的な力を強化するための措置だ」
と説明した。

 サムスンの地域専門家の派遣先は、1990年代には主に先進国だったが、2000年代以降はインド、中国、中東、アフリカなど新興国への派遣割合を約80%に高めた。女性の地域専門家が占める割合を30%まで引き上げる目標も掲げている。

 サムスンの地域専門家として派遣されると、会社関連の業務をしなくてもよい。
 学校や研究所に通う義務も、現地法人に出勤する義務もない。

 それでも派遣された社員は、年俸以外に1人当たり1億5000万ウォン(約1420万円)を上限に滞在費が支援される。
 その代わり、現地語だけでなく、現地の文化、法律、人脈などに精通し、該当地域に対する現場の専門家になることが求められる。

 1995年に英国に地域専門家として派遣されたキム・ギソン無線事業部常務は
 「英国では犬を連れて歩く人を見かけると、まず犬に話しかけてから、飼い主と会話するようにしていた。
 そんな現地での経験が後に海外営業を行う上で大きく役立った」
と話した。

 サムスン関係者は
 「旧ソ連、東南アジア、アフリカの奥地で1人で年間1000億ウォン(約95億円)以上を売り上げる駐在員の相当数が該当地域の地域専門家出身だ」
と説明した。

■グループ企業で大活躍

 サムスンが20年以上運営してきた地域専門家制度は、世界的な企業から「サムスンの海外競争力の核心」として評価されている。

 米製造業大手、ゼネラル・エレクトリック(GE)の役員養成機関、クロトンビル研修所も
 「10年後を見据え、社員1人に数億ウォンを投資する地域専門家制度こそ、サムスンが好調を維持する要因だ」
と称賛した。

 サムスンがかつてモデルにしていたGEは、最近サムスンに学ぼうと躍起だ。
 今年初めには、ジェフリー・イメルト会長を含むGEの幹部社員が米フロリダ州で開かれたサムスン式経営に関するグローバルリーダー会合に出席した。

 地域専門家出身の最高経営責任者(CEO)も誕生した。
 昨年サムスンカード社長に就任した元麒讃(ウォン・ギチャン)社長は、米国で地域専門家となった後、サムスン電子北米統括人事チーム長、サムスン電子人事担当副社長などを歴任した。

 元社長は「1994年の米国での地域専門家生活を通じ、町内のガキ大将の実力では、何もできないということを骨身にしみて感じ、自らを研さんする決定的なきっかけになった」と話した。



JB Press 2014.03.18(火)

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40142

韓国企業が囲い込みに走るバングラデシュのエリートIT技術者
日本企業よ、バングラデシュ人の潜在能力を見逃すな

 前回の記事「世界最貧国がデジタル立国に挑戦」では、「バングラデシュのIT産業は緒に就いたばかり」という結論で締めくくった。
世界最貧国がデジタル立国に挑戦ポスト中国の“大穴”

「バングラのデジタル立国なんて日本とは無縁の話」
と考える読者も多いだろう。
 しかし実は現地にはマイクロソフト、グーグル、サムスン、アクセンチュアなど名だたるIT企業が進出している。

 注目すべきはサムスンである。
 サムスンは2010年、バングラデシュの首都ダッカに研究開発センター「Samsung R&D Institute Bangladesh Ltd.」を設立した。

 サムスンの動きは現地の人材市場にも大きな影響を及ぼしている。
 バングラデシュの優秀なIT人材をサムスンが根こそぎさらっていこうとしているのだ。
 その露骨な引き抜きの結果、バングラデシュ資本の中堅IT企業の中には経営危機に瀕しているところもある。

 こうしたサムスンの動きを警戒する日本人IT専門家のA氏は、バングラデシュのIT大臣を直接訪ね、
 「このままではバングラデシュのIT産業は滅びてしまいます」
と訴えた。
 ところが、
 「そうは言っても、サムスンはバングラデシュに投資をしてくれているからねえ・・・」
と、大臣の反応は鈍い。
 A氏がふと視線を大臣のデスクに移すと、そこにはサムスンからのパーティー招待状があったという。

 韓国の勢いに対し、日本はどうなのか。
 A氏は「バングラデシュでも日本は韓国に負けている」と肩を落とす。
 A氏は、日本企業がサムスンにやられっぱなしでいることはもちろん、日本人がバングラデシュ人の潜在能力に気付いていないことが歯がゆいのだという。

■ダッカ大学コンピューターサイエンス科の驚異的な入試倍率

 筆者は日本に本拠地を置くバングラデシュ資本の企業、BJIT(東京都中央区)を訪れた。
 取締役会長である林信宏氏は東京大学大学院で修士を修め、その後日本IBMで活躍した情報工学の専門家である。
 そんな林氏も「バングラデシュ人は非常に優秀」と太鼓判を押す。

 「ダッカ大学のコンピューターサイエンス科の入試は倍率2000倍。
 この難関を潜り抜けた人材が優秀であることは言うまでもありません」

 しかしながら、「卒業しても仕事がない」というのがバングラデシュの現実。
 BJITもダッカで面接をすれば20人の応募枠に1000人が殺到するような状況だ。
 韓国企業はいち早くそれに目をつけ、エリート中のエリートを必死に確保しているのだ。

 一方、一部の日系企業の間では、バングラデシュの優秀な人材をまずはオフショア開発で活用しようという動きが始まっている。

 オフショア開発においては、コンピューター技術だけではなく、開発の対象となる業務知識や、日本語のコミュニケーション能力、また日本でのソフトウエア開発の習慣を知るブリッジエンジニアの存在が欠かせない。

 国籍の異なる組織をまたいで業務を行うのは想像以上に困難が伴う。
 委託された内容を正確に把握し、これを異国のアウトソーサー(業務を受託する企業)に伝達する「ブリッジとしての力量」が事業の成否を握るカギだと言っても過言ではない。

 IT業界のバングラデシュ進出においては、日本のエヌ・ウェーブ(東京都千代田区、参照:「ダッカの交通システムを変える日本の先端技術」)が先駆的存在である。
ダッカの交通システムを変える日本の先端技術

 代表取締役社長の矢萩章氏は次のように語る。
「バングラデシュのオフショア開発の課題は、漢字を克服できるか、日本企業が要求するきめ細かいオーダーに耐えられるかなどにあります。
 アウトソーシングの基本はものづくりと同じ。
 日本企業が求めるような職人芸をどこまで引き出せるかが決め手です」

■トライアンドエラーの連続だった中国でのオフショア開発

 これまで日本のオフショア開発を支えていたのは中国だった。
 ここで、中国の発展プロセスを少々振り返ってみたい。
 中国でオフショア開発が本格的になるのは2000年代に入ってからのことだった。

 当時、日本企業は「高品質、低コスト」を求めて、北京、上海など、中国沿海部の企業に業務委託を行ってきた。
 当初、仕事のクオリティーは決して高いとは言えず、課題克服のためのトライアンドエラーが続いていた。

 ある大手IT企業は、クライアントから受けた仕事の一部を中国のアウトソーサーに発注し、オフショア開発を行ってきた。
 事業の責任者、B氏は当時の苦労を次のように振り返る。

 「日本人同士にある阿吽(あうん)の呼吸が通じず、すべてにおいて細かい指示が必要でした。
 現地スタッフは日本語人材と非日本語人材が混在するため、伝言ゲームになってしまう。
 最初に伝えた内容は、なかなか正しく伝わりませんでした」

 同社は設計から「結合テスト」(複数のプログラムが正しく連携するかどうかの検証)までを業務範囲とした「一括委任契約」を現地アウトソーサーに依頼した。
 日本の企業への発注と異なり、何度も仕事のチェックをしないと客先に成果物を納入できない。
 「結局、1カ月に1人で140時間かかる仕事を依頼しても、レビュー(見直し)で70時間取られてしまうような状態でした。
 これでは一括で委託する意味はない、自社でやった方が早いのでは、と思うこともありました」(B氏)

 それは、建物の安全性を確かめるのに基礎部分を掘り返す作業にも等しかった。
 業務を開始した直後は、ブリッジエンジニアも十分に育っておらず、まさに苦労の連続であった。

 だが2000年以降、中国では多くの企業がブリッジ育成に重点を置き始めた。
 新人教育に加え、マネジメント研究、技術教育、さらには日本語教育を与える企業は珍しくなかった。

 ようやくブリッジエンジニアが育ってきたのがここ数年のことである。
 業務も安定的に回り始めた矢先の2010年9月7日、尖閣諸島で中国漁船衝突事件が起こった。
 事件以降、日本からの業務を受けるアウトソーサーでは、人材の流出が見られるようになったという。
 2010年はインフレと最低賃金の引き上げがクローズアップされた年でもある。
 従来の給料に不満を唱える人材が数多く存在したことは想像に難くない。

 「給料への不満」に対して、多くの企業はインセンティブをつける方法で解消を狙う。
 中には新たな報酬制度を確立した企業もある。
 だがその結果、一部の労働者はいっそう「金にならない仕事はやらない」という態度を強めることとなった。

 近年は賃金の高騰もさることながら、アウトソーサー自体がよりカネ勘定に執着するようになっている。
 こうした要素も、日本企業が中国から遠ざかり「チャイナプラスワン」を探すようになった原因の1つである。

■日本人とメンタリティーを共有できるバングラ人

 ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーなど、「チャイナプラスワン」の候補地はいくつもある。
 そのなかで、今静かにバングラデシュにスポットが当たりつつある。

 「漢字に対応でき、日本人的感性が分かるバングラデシュ人コーディネーター」はまだまだ育っていないのが実情だ。
 だが、バングラにオフショア拠点を設立する日本企業の取り組みも始まっている。

 例えば前出のBJITは、日本の顧客からの発注を受け、ソフトウエア開発をバングラデシュで行うという「ブリッジ支援型オフショア開発」を展開している。
 BJITがブリッジとなるので、顧客はBJITの日本側担当者との間で仕事の指示や調整をすればよい。
 同社ではバングラデシュ人エンジニアに対して、ITやプロジェクトマネジメントの教育以外に、日本語や日本文化の教育を行っているという。

 また同社はバングラデシュを拠点として、グローバル人材育成の教育サービスも展開している。
 現在はNTTデータグループを中心に日本人社員をダッカで受け入れ、英語研修やソフト開発技法の教育などを行っている。

 バングラデシュ人エンジニアの潜在能力として、日本人と分かり合えるメンタリティーもあるようだ。
 前出の林氏は「バングラデシュ人は空気が読める」と評価する。
 「彼らは中国人とは違って、“This is not my job”とは言いません。
 日本人が働いているなら終業時間を過ぎても一緒に働くし、上司に従い、規律を守り、信義に篤い。
 その上、日本や日本人に対し敬意と好意を寄せています」

 冒頭でサムスンがバングラデシュのIT人材を争奪しているというエピソードを紹介した。
 日本企業はこのまま出遅れてしまうのだろうか。

 次回は、日本で働くバングラデシュ人をクローズアップし、彼らがいかに日本社会に溶け込み、いかに実質上のブリッジとして機能しているかを紹介したい。
 バングラデシュは日本企業のよきパートナーになれる実力を間違いなく秘めているのだ。


姫田 小夏 Konatsu Himeda
中国情勢ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務等を経て97年から上海へ。翌年上海で日本語情報誌を創刊、日本企業の対中ビジネス動向を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、東京で「ローアングルの中国ビジネス最新情報」を提供する「アジアビズフォーラム」を主宰。現在、中国で修士課程に在籍する傍ら、「上海の都市、ひと、こころ」の変遷を追い続け、日中を往復しつつ執筆、講演活動を行う。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)。目下、30年前に奈良毅東京外国語大学名誉教授に師事したベンガル語(バングラデシュの公用語)を鋭意復習中。



レコードチャイナ 配信日時:2014年4月3日 14時8分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=86012&type=0

インド最高裁判所、サムスン会長に6週間以内の出廷命令―中国メディア

 2014年4月3日、中国の大手ポータルサイト・網易によると、インドの最高裁判所は2日、韓国サムスングループのイ・ゴンヒ(李健煕)会長に対し、6週間以内にインドのガジアバード裁判所に出廷しなければ、インド警察が逮捕の権限を有するとの裁定を下した。

 ガジアバード裁判所は3月31日にすでに逮捕令を出しているが、最高裁判所がこの決定を6週後に行うよう決めた形だ。
 イ会長がこの決定に従わない場合、次にインドに入国した際に逮捕されることになる。

 韓国の報道によると、インドの企業「JCEコンサルタンシー」は2005年、サムスンが同社に支払うべき140万ドル(約1億4500万円)が未払いになっているとして訴訟を起こし、裁判所はイ会長に対する逮捕状を発行。
 イ会長はこれを不服として、この決定を無効とするようインド最高裁に求めていたが棄却された。






_