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サーチナニュース 2014-05-18 06:57
http://news.searchina.net/id/1532594
韓国旅客船沈没事故、「三流の国家と民族」を自認する韓国
・・・「恥の文化」成長の原動力=中国メディア
韓国珍島(チンド)沖で発生した旅客船「セウォル号」の沈没事故の責任を取るとしてチョン・ホンウォン首相が辞意を表明したことについて、中国の大手ポータルサイト・騰訊でニュースの編集にかかわる丁陽氏はこのほど、
「恥の文化を体現した行為」
と論じ、
「恥の文化こそ、韓国を成長させた原動力だ」
と論じた。
丁陽氏は、韓国国内では首相が辞意を表明したことは驚くべきこととは受け取られておらず、事故に対する悲しみの気持ちを除けば、韓国国内に蔓延するのは
「沈没事故は国家、民族としての失敗を具現化した悲劇」
という考え方であると主張した。
さらに、今回の沈没事故における救援活動の対応の悪さを見た中国人ネットユーザーからは
「韓国は結局、二流国家であり、アジアで本当の一流国家は日本だけ」
などといった声があがったことを紹介。
さらに、中国メディアからも「二流国家における海難事故」との指摘があったことを伝えた。
一方、丁陽氏は韓国では中国国内の声よりもさらに厳しい批判があることを伝え、韓国メディアが政府批判を展開しつつ、
●.「韓国は三流国家だ」、
●.「われわれは三流民族」、
●.「20数年前に比べて進歩したと考えていたことは、ただの錯覚に過ぎなかった」
などと報じたことを紹介した。
さらに丁陽氏は、もしも中国でセウォル号と同様の事故が発生した場合、
★.「中国人は政府の責任を問うばかりで、国家や民族性についての反省はしないだろう」
と主張し、韓国で見られる「自己批判や反省の声」を評価する姿勢を示した。
続けて、
「韓国人は自国を三流国家と考え、民族性についても反省しているが、こうした自虐観が恥の文化を形成した」
と主張。
チョン・ホンウォン首相の辞意表明や、セウォル号に乗船していた高校生を引率していた教頭が事故後に自殺したことは「恥の文化を体現した行為」だと論じた。
ただ、韓国人のすべてから恥の文化を感じ取ることができるわけではないと付け足し、乗客を置き去りにして避難した船長などからは「恥という意識すらまったく感じ取れない」と批判した。
さらに丁陽氏は、韓国の経済に関するデータなどを引用し、
「韓国は三流国家などではなく、成功した国家と言える」
と主張。
さらに恥の文化があるからこそ自らが直面した問題を認識でき、
国民の共通認識のもとで改善に取り組めるとし、
「三流国家と自認する恥の文化こそ、韓国を成長させる原動力だ」
と主張。
開発途上国から先進国へと成長した韓国は、
中国を含めすべての国にとって参考になるはずだ
と主張した。
』
東日本大津波は2万人が死に、直接の物理被害だけで20兆円と言われている。
そのときのにとった
日本人の行動については、世界が賞賛の言葉
を送ってきた。
今回の韓国の旅客船沈没事故は韓国人自らが己のことを
「一流の皮をかぶった三流民族」
と位置づけてしまった。
そこにはあの一時を風靡した
驕慢に満ちた過剰とも思えるほどの自信
は今やどこにもない。
この違いはなんだろう?
何が、かくも大きな差を生んでいるのだろう。
「恥の文化こそ、韓国を成長させた原動力だ」
というが、日本も恥文化である。
同じ文化でありながら、末端ではまるで離れてしまっている。
つまりこの記事の言いたいことは、
先進国になった韓国は「恥の文化」をもって
「国家民族の再生」を図る
ことができる、
ということのようである。
はたして、恥の文化とはそんなお手軽なものであるのか。
煎じ詰めていうと日本の恥じの極限は「切腹:ハラキリ」ということになる。
文化の極限に「自らの死を厭わず」という絶対信条がある、
ということが恥の文化の強さになっている。
韓国の場合、恥の文化を支えているものは何なのか、
おそらくそこが問題だろう。
絶対的信念がありえるか、どうかだ。
日本の場合は西洋とは違い「神様がいない」。
よって人間としてのありかたを人間が決めなければならない。
その仕様が「恥の文化」であり、それを支えているのが「死をいとわず」という考えであろう。
わかりやすく具体的に言えば今年はじめになくなった「小野田寛郎」という形に具現化しているといっていい。
彼の母、彼自身が恥の文化の体現であろう。
いわゆる「サムライ心情」でもある。
韓国の場合、最後に民族を支える核があるのかなのかになる。
韓国文化に詳しくないので能くはわからない。
ただこれまでの「驕慢なゼニゲバ思想」にそれを視ることはできないのだが。
さて次の問題は中国になる。
この論者は中国人についてこう言っている。
★.「中国人は政府の責任を問うばかりで、
国家や民族性についての反省はしないだろう」
中国には日本や韓国と同様に「神様はいない」。
なら、中国には韓国と同様の「恥の文化」というものはあるのだろうか。
ルース・ベネデイクトの時代から「恥」は「武士道」から生まれ出たものであると思っている。
いやその前の新渡戸稲造の『武士道』が書かれたときからと言った方が正確だろう。
この恥のルーツは儒教にあるのだろうか。
新渡戸は儒教を筆頭においているが。
しかし「国家や民族性についての反省はしないだろう」ということになると、恥の文化は中国にはないということになる。
恥が強烈に出ている日本と、恥のない中国との間の韓国の恥とは何だのだろうか。
ルース・ベネデイクトによれば西洋は神の原罪で、日本は人の恥をもってあり方の根源を為しているという。
中国は何をもって民族のあり方の根源としている
のであろうか。
【参考】
●戦後、はじめて撮影された小野田寛郎少尉の写真
大日本帝国陸軍 小野田寛郎少尉 命令下達 Ver 2
公開日: 2014/02/06
小野田さんのご冥福をお祈りいたします。
大東亜戦争終結から 29年目にしてフィリピンルバング島から帰還を果たす。
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